☆…絵日記…☆

【最新話あらすじ】【バラール島の鍛冶場に暮らすケレブリンボールを訪ねるエガルモスとスランドゥイル】

[TWITTER] [探 索] [狩猟場] [魔法帯]
サムネイル
[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [次の5件]

[505] 追憶
【鍛冶師殿の工房のこと】 2012/12/27 (Thurs.)





約束通り、エガルモスは、来た。


十日後のことだった。




   *



上の階からなにやら言い争う声が聞こえる。


誰にも気づかれないように、そっと階段を上って廊下に出てみると、


主人を抱き抱えた天虹家のエルフが、資材に塞がれた部屋の前で途方に暮れている背中が見えた。



どうやら、口論というよりはエガルモスが一方的に小言を繰っているようだ。



まあ内容を総括するに、


「招かれて来たのに、招かれざる客扱いを受けた」



ということらしい。



ケレブリンボールは彼ら客人を迎える可能性をわたしから得ていたにもかかわらず、心の隅に押しやり、ひたすら、自分の仕事に埋没してしまっていたらしい。




そこへ現れたエガルモスらは半裸の、しかも玉の汗に肌を光らせたテレリの職人達に、珍しがられ、賑やかしく笑いかけられながら、唄いかけられながら、


足で床の資材を掃くようにして招き入れられたとのこと。



で到底、客間とは思えぬ「倉庫」に案内されたエガルモスは、やはり半裸で現れた工房の主人・ケレブリンボールの「何しに来た」的な態度やら不器用な接待やらに驚き呆れ、ついに、小言が勃発したのだ。


そうした小言が一段落して一旦、エガルモスが配下の腕の中で深い溜息をついていたところへちょうど居合わせたというのが今の状況らしい。



ひとつも総括になっておらぬと言われかねぬまとめようではあるが、これでもまとめたうちに入るほどにエガルモスの小言は長々しく、わたしにとっては退屈なノルドールの哲学的な事などは色々と省いた上でなるほどと肯けるところだけ掻い摘んでいるのだから、どうか許して欲しい。






「我が配下の中でも特に気の回る者を数名、明日にでも寄越しましょう」






その場にいる誰もが恐々として、壁際に小さくまとまっていたが、虹の宗主はお構いなしに、強い光を大きな瞳に宿してケレブリンボールを見据えていた。


「作業場はともかく、玄関よりこちらまでの空間は仕事の依頼主をお通しする空間ですよ。貴方が主人として暮らす家ですよ。


 それをよくもまあ、このように、散らかせたものですね。作品さえ上手く出来れば、それ以外はどうでもよいと? 初めてお会いした日の、高貴だった貴方はもうお忘れに?」 

「そういうわけではないが…」

ケレブリンボールは鉄錆の染み付いた手拭いを首にかけたまま、エガルモスの剣幕に戸惑っていたところであったが、



「なんだなんだ、喧嘩か?」




ひょっこり顔を出したわたしに、助けを求めてすがりつく様な眼差しを向けた。


ただし、瞳に宿しているのは炎が爆ぜる瞬間にも似た、強い光だ。


初対面ならばおおよその者が「睨まれた」と勘違いしよう。




ケレブリンボールよ。


…どうでもよいが、損な奴だな。

「伯父上はまだ行方不明か。いつもなら菓子くずをねだって止まり木から舞い降りるものを」

ケレブリンボールの作った、三日月形の小鳥の椅子は、じきに温まることになるのだが、この時点では空になって数日が経つ。


「…戻るとよいのだが」

肩透かしを食らった様な声で彼は相槌を打つ。

こちらに助け船を求めているのはわかっていたが、気づかぬふりをしてエガルモスに優雅な辞儀をしてみせると、グラウルングとか申したか、大きな竜の彫像に腰掛けた。



皆はこれを恐ろしがるが、わたしは生きた竜など知らぬし、むしろ、あの人の子の兜と同じ形をしていることには感嘆しているくらいだ。

ケレブリンボールも竜を見たのは逃亡の日、遠目に一瞬だけらしいが、それをよくもまあここまで細々と覚えていたことよ。


ただ本人は、これを傑作のうちには入れていない。

わたし達の素人目線での審美眼が当てになるのであればこれも十分よく出来ているし、彼自身も稀有な環境に身を置いて来た方だとは思うが、それでも(彼が申すには)先達と比べて圧倒的に、学び得る物に目と耳と手で触れる機会が足りぬという劣等感があるのだそうだ。


ならば。



機会を増やせばよいではないか。





膝に顎を乗せ、袖の裏でわたしは、にやりと唇を横に引いていた。




フフフ。


その心は追々話すとして、そんな二人のやりとりを見守っていると、驚くべきことに、足が悪いくせに、しかも片方は途中から無いにもかかわらずこの男は肩を貸させていた配下を払い退けると、崩れ落ちるようにして、埃まみれのその場に膝を突いたがすぐさま扉に手を掛け、わずかの間ながら立って見せたのだ。


足が痛むのか、エガルモスは一瞬眉をしかめたが、体幹はぴくりとも揺るがぬ。


エルフにしても細すぎるほど痩せた身体は一見して頼りない印象だが、その身の軸には力があり、宗主として、かつては確かに機能していたのだと、栄光の日々が彼にもあったのだと、はっとさせられた。

島の民は決して彼を下に見てはおらぬが、


むしろこのわずかな期間で良くぞと思うほどに彼の知性や優しい雰囲気を愛する者は多いが、

ただただ、身体に関しては憐れみを向けるばかりであった、彼本来の武人としての資質というものを、改めて見せつけられた最初の瞬間が、あの日であったように記憶している。


居合わせた誰もが彼への憐れみを取り下げて息を呑む中、彼は次の瞬間には柔和な笑顔を浮かべ、

「ケレブリンボール様、」

口調を緩めて言った。


「あなたを叱るのは、最初にして最後といたしましょう」


何故か感慨深そうな眼差しでケレブリンボールを見上げると、彼はうやうやしく手を取り、熱く握りしめたのだ。


「ケレブリンボール様。 今はもはや、あなたはこの地におけるエルダールの中では最も高貴な、最も優れた匠の君なのですよ。それはおわかりですね」




「そして私はお察し申し上げています。フェアノールもエネアジルも知る我らが増えたことでますますフェアノールの名声を背負い、苦しんでおいでである貴方を」


ケレブリンボールの肩が一瞬、反応した。

フェアノールはケレブリンボールの祖父の名である。

エネアジルはゴンドリンの優れた宝飾細工師で、例の先日死んだ怪我人の名である。









「今の貴方が彼らを超えられぬのは無理からぬこと」


ん…?




「技への探求心ばかりが先に立ち、工房には我らにその技を与えたもうたアウレ様に対する敬意がまるで感じられませんもの。

また王子であられた頃の新陛下よりお与えくださったこの家を大切に維持しようとする心すらも感じ取れません。これを咎めぬ陛下のお優しさに甘えておいでです」



小言がまだ、続いているではないか。


「ケレブリンボール様のご出自、お立場はお察しいたしますが、これよりは相応のご矜持をお持ちになって、より高雅に、より敬虔に構えて頂きとうございます」


ああ、そういうことか。

ケレブリンボールがこれまでぞんざいに扱ってきた全ての依頼主達の、最後の客になろうとしているのだな。


「ここに住まうことを許された貴方であればきっと、お分かりになるはずです。私の申し上げたいことが」



内容はともかくとして、よくぞ申した。


わたしは諸手を挙げて叫び出したくなる衝動を菓子を食うことに置き換えておとなしく観戦しながら、その諸手で膝についた粉を払い落としていた。 ただの野次馬とも言う。










花の民がケレブリンボールを初めて見た日、皆に安心するよう諭してくれたエガルモスを見て、単純に「良い奴だ」と感じていた。ファラスリムらもそういうところがあって、彼を愛しているのだと思う。


で今の役目を得てからというもの、彼の気質の活かしどころを心の隅で探しているフシがあった。

一方では、ケレブリンボールはこの通りである。




縁有ってかバラール島に運ばれた花の民の宝飾品に衝撃を受けていたケレブリンボールは、

エレイニオンの為に腕を振るいようにも、物を作れば作るほど、エネアジルの傑作の数々が脳裏を横切り、結果、不調に喘いでしまっているわけだ。

我らよりも上の聖霊のように、まるで遠く及ばぬほど傑出していれば嫉妬する気も起きぬものも、微妙に抜けそうで抜けぬところにいる腕を持つ者が相手となると、やはり違うらしいのだ。


作家の世界なぞわたしには計り知れぬ世界ではあるし、左様かと聞き流して終わるしかない悩み相談ではあるが、ギルドール風に申せば「ピンと来た」のだった。


往年の職人をよく知る者から話を聞けば、おそらくはケレブリンボールの仕事の役に立とう。

世話の焼きどころの多いケレブリンボールを前にすれば、必ずやエガルモスの親切心は疼き、活力は甦ることとなろう。

こうして二つの問題がわたしの中で、ひとつの課題として融合した次第である。



「今日はこれで失礼いたしますが、また伺います。まずは数日間、ここでわたくしの致す事に関しましては手出し口出し無用でお願いいたします」



「菓子は召されに参ってもよいか」


「当分はだめです」


わたしからの早速の口出しは、速攻で切り捨てられてしまった。


ここの工人らだかその身内だか知らぬが、美味いのだよな。


わたしまで我慢か…と、唇を尖らせて竜の背で転がっていると、エガルモスが、ふふっと愉しげに笑ったような気がした。



笑ったのは気のせいであったかどうかをケレブリンボールの反応から確かめようとしたが、

そこには手厳しい言葉を前に、

ただただ呆然として、

工具を握り締めたまま、途方に暮れた男が立ち尽くしているだけなのであった。




[●訂正●] [●追伸●]

[504]


[503] 追憶
鍛冶師殿の工房のこと 2011/11/19 (Sat.)

キィ…ン。



ガシャン。



カラカラ。



焼き釜の前に、耳障りな音が炸裂する。

友人である鍛冶師が惜しげもなく、青磁の飾り盾を床に割り捨てているのだ。

思わず菓子を取り落としたわたしは溜息をついて、振り返る。


「割る前にせめてわたしに断れ。驚くではないか」


「……」


鍛冶師は新しい菓子を籠から摘まみ出してわたしの口に放り込むと、再び金槌を握りしめ、焼き上げたばかりの陶板に長い腕を振り下ろしてゆく。



戴冠式以降、新上級王をはじめとする多くのエルフに乞われるまま、ケレブリンボールは常になにかしらを鍛える日々を、忙しくも充実して過ごしているように、傍目には見える。


だがそうしてエレイニオンらを喜ばせる一方、陰ではどれほど多くの作品が彼に失敗作と呼ばれ、廃棄されて参ったか知れぬ。





「上出来ではないか」



磁器などという、硝子細工にも似た陶器を作るなど、ドリアスの地下からも滅多に上がる事のなかった技術である。それを平然とやってのける男は、周囲が幾ら取り成しても、まるで聴く耳を持たぬのだ。



ようやく口を開いたかと思えば、こうだ。



「エネアジルには遠く及ばぬ」と。











そのケレブリンボールの家に、転機が訪れた。


エガルモスの登場である。





戴冠式の興奮からバラールが落ち着きを取り戻しかけた、とある日。

キアダンの用でどこぞへ遠出しているギルドールの居ない家に飽きたわたしが無理矢理に用を作り、ケレブリンボールを連れてシリオンへ渡った日の事だった。


無口なケレブリンボールとは特に会話が弾むでもなく、かと申して居心地が悪いわけでもなく、ぶらぶらと街路をそぞろ歩いていると、花の民の暮らす家並の一画、未だ新築の香り漂う館の窓辺に寝間着姿のエガルモスが居て、ぼんやりと外を眺めているのが偶然、見えた。



「あれに見えるは、まっ先にケレブリンボールを信用し、武装を解き、これを仲間に倣わせたエルフではないか。ゴンドリン陥落の戦にて怪我をし、一人では歩けぬ様子であった…よな?」



「ああ、確かにそうだった。あの時こそ彼は気丈に振舞ってはいたが」



ああして窓辺で黄昏ているところを見るに、さすがの彼も今は落ち込んでいるのであろうか。






「良い天気でございますな!」

わたしは声をかけた。


エガルモスは若者から突然に笑いかけられた事自体には驚いていたものの、意外なことに我らを庭へ招き入れる仕草をしてみせると、暫くして彼も従者に抱かれて下に降りたのだ。


植えて間もない華奢な苗木の広がる庭へと続く門は我らが入る後にも先にも開かれたままで、臨海する東屋からは新しい木の香りが磯の風に勝って漂っている。


ケレブリンボールは虹の者らへの挨拶もそこそこに、

「買い物をして来る」とわたしに耳打ちして街路へと戻ってしまった。



既に散々、やれ工具だの鉱物だのと、わたしには興味のかけらもない買い物に付き合わされた後である。


まあ構わぬ。





「良い天気ですね、確かに」


エガルモスは空を見上げた。


「かくものどかな日が続きますと、時には雨垂れの先に輝く虹が恋しくなる時もございます。ところで、貴公のお顔には太陽がお似合いでしょうに、先程の笑顔はどこか物憂げでしたね。どうなさったのかしらと、不躾ながら、お誘いせずにはいられませんでした」


「わたしをご存知なのか」

「存じているも何も、」

エガルモスは苦笑した。

「オロフェア殿のご子息でしょう?キアダンの館にてお見かけしました。そしてお父上には、花の民の失礼を詫びる機会を重ねるうちに、自然と仲良くさせて頂くようになっているのですよ」


「左様でしたか。いや、不躾であったのはこちらにて。そうだ、花の民と申せば、そなたらの姫だ。無断で部外者を庭に引き入れて、大丈夫なのか」

面と向かっては申せぬが、イドリル姫は事実上はもはやシリオンの港町に君臨する存在となっている。

宗主の生き残りの者らは皆、彼女ら家族の館に住まっていた。


ゆえにここは、彼女にとっては直轄中の直轄地なのである。




その彼女の指導の下、ノルドールの文化が色艶やかに、突如花開いたのが、今のシリオンの港町なのだ。

おかげでこちらは初期の竣工に携わった父らテレリの支配の及ばぬ地と化してしまっていたが、
それはそれでうまく回っているがゆえ、父らドリアスの残党も黙る他無く、キアダンもこの頃は黙認することにしているようである。


幾度か申したであろうか、わたしはあの女が、どうも苦手である。





つまりは女傑過ぎるのだ、イドリルは。

あの者の対抗馬となりうるのはガラドリエルあたりであるが、今回ばかりは何故かこの問題に興味を示さぬ今、彼女の顔に宿る光は我らシンダールの目にはあまりにも強烈過ぎて―…


悪い奴ではないのだ。

むしろ優しく、総じて出来た女ではあるし、彼女を慕う者も多い。



彼女のおかげで港町が栄えているのはわたしも認めているし、市場や広場における催し物も面白く、遊びに出るには丁度よい空間となった。


頭では解っていることでも、ドリアスの出であるわたしはついつい、あの姫とは折り合いの悪い父の肩を持って敵視してしまうのかもしれぬ。






「大丈夫ですよ。この棟だけは私に自由を許された空間で、出身を問わず、出入りの者は多いのですよ。今日はどなたかのお見舞いに?」

「いや。今日は、先日息を引き取った怪我人が塚に入るのを見て戻ったところだ。遺品も有り難く頂戴している」

「あ、そうだったのですか…それでお元気がなかったのですね。お心遣い、感謝いたします」

「エネアジル、と申したか。高名な作り手であったそうだな? あの者は」

「はい。 アウレに対しても、またエルフに対しても、そして何よりも物作りに対して、とても潔癖で、無垢で、几帳面な子でした。ですから、志を同じくする方に図面を引き取って頂ければ、あの子もきっと報われましょう」

「そうしたものであろうか」

「それはそうでしょう」



はは・・・


鍛冶師としても、エルフとしても、几帳面か。



(…ケレブリンボールとは正反対の職人だな)


島に運ばれた玉座や王冠、花の民の装飾品などはエネアジルという名のエルフが作った。


皆、だ。

エネアジルこそフェアノールに次ぐ実力者よと花の民は彼をそう、未だ讃えて止まぬのだ。


冒頭におけるケレブリンボールを荒れさせていた理由はこれだ。


その者の手仕事に衝撃を受けての不調が、今のケレブリンボールの心の中を掻き乱していたのを、わたしは知っていた。



まあ悩むのは本人の勝手だが、ただでさえ雑多な家に、さらに瓦礫が増えてゆくばかりでは、遊びに行く気楽さがあの家から着実に消えていってしまうではないか。


もっとも、悩みながらも進もうとするところがケレブリンボールの可愛らしいところではある。


友人としてはこの不調からの脱却をなんとしても後押ししてやりたいものだが、具体的には何をしてやれば良いのだろうと、わたしは首をかしげつつも玄人の酔狂に付き合ってやっていたのだった。

その折も折だ。
なんとそのエネアジルの図面がシリオンにもたらされているのだというのだから、奴を連れて出かけぬ手は無い。



「本当に、貰って構わぬのだな」



「勿論です。如何に花の民が彼とその作品を愛してやまぬと申したところで、物作りの何たるかを知らぬ我らの手に管理されることはまず、亡き方の本意ではございますまい。ケレブリンボール様には、どうぞ宜しくお伝えくださいませ」


先ほど製図を見せてもらった限り、故人は執拗なまでに計測器を当てた製図を掘り起こしていたようだ。


寸法にしろ魔法の公式にしろ、視覚からの情報を工人らにも明確にする代わり、エネアジルの工房では沈黙を徹底していたという。

間違ってもエレイニオン画伯のらくがきからあの星々煌めく紋章の意匠を、才能による閃きだけでひねり出すような大胆なことは致すまい。


名誉の為に一応付け加えておくが、ケレブリンボールの製図も緻密ではある。

が、まあそれは設計図と申すよりは、絵画的な要素が強い。

一人で作るにはそれもよいが、大勢で成さねばならぬ際にはあまりにも意味不明ゆえ、出入りの工人達からの懇願(完成予想図が複雑すぎるがゆえに)に折れて書き加えるようになったという注釈はそれでも、詩のような独り言のような、感覚的な言葉が並んでいたはずだ。


エネアジルのような理詰めの製図なぞ、いざ手にしてみれば励みとなるどころか奴の手には使い物にはならぬような気がしたわたしではあったが、


「ああ、伝えておこう」

エガルモスには物分りの良い笑顔で応えていた。



手提げに入れていた遺留品を、箱の上から撫でてみる。

この時点でわたしが持っているというのが既に不安要素満載である。




(これもあの館の芥のひとつにならねばよいが)




「ところで、エガルモス殿自身はいかがお過ごしか。父が本を貸したと聞いているが、どうせ彼自身の音楽理論だの建築様式の変遷だのと、小難しい学術書のまとめでも読まされているのであろう?退屈であればこっそり引き取って差し上げても構わぬが」

「退屈どころか、」

彼は目頭に浮かんでいた涙を拭い、不自由な足をさすって笑う。

「あの続きは著しておいでなのか、お伺いしようと思っていたところでした」

「父上が聞けば喜ぶであろうが、我が身内とて遠慮はいらぬぞ」  

元はゴンドリンの誇る戦士のひとりではあったろうが、怪我をして働けぬ者としてエガルモスは島に現れた。


わたしはそうしたエルフの面倒をも、エレイニオンより引き継いでいる。


ゆえに、相手は子供ではないが…むしろ親子ほど年の離れた相手だが一応、わたしの管轄に入るエルフなのである。


彼のような負傷兵、あるいは海辺の暮らしに馴染めずに居る若い世代の花の民のエルフらを見舞いに、時折はこうしてシリオンまで出向き、可能な範囲で声をかけ続けていたわたしだったが、その多くは名もなき者らである。


まあ…勝手にじゃれ付いてくる樹家の宗主らはさておき、虹の宗家の長たるエルフと膝を交えたのは、これが初めてであった。




「差し支え無いのであれば、」


わたしは身を乗り出し、目を輝かせた。


「時折はバラール島へも参られよ。毎日同じ景色では見飽きよう? ほら先程の、鍛冶師だ。ケレブリンボール。そなたが同胞から庇った男だ。これを受け取る男だ。 彼の工房は面白いぞ。バラール島の中腹にあってな、水脈を利用して鍛冶場の仕掛けを動かしておる。そちらでは滝壺と同じようにな、またキアダンの館の噴水のようにな、雨が降らぬ日も虹が見えるのだ。ただし足場は悪いゆえ、健脚の従者を連れて参れ」


彼は少し考えた後、了承した。


やがて約束通り、彼は、来た。十日後のことだった。
[●訂正●] [●追伸●]

[502] 【追憶】
鍛冶師殿の工房のこと 2011/8/21 (Sun.)







「手紙だ。宛先がお前になっているぞ」


わたしが封筒を差し出すと、ギルドールは不思議そうな顔をして受け取り、中を改めた。







( 誰からだ。何と書いてある )


その手紙は今朝、キアダンの館より御用聞きに参った者が我が手に握らせてくれたものだ。


ギルドールはこうした出入りの小間使いとも気さくに口を利く。


( だから…!! 何と書いてあるのだ、何と! )


わたしは優雅に茶をいただく振りをしつつ、手紙を読み返している白金色のくるくる頭を、ちら、と盗み見る。



( これがもし、お慕い申し上げております、の類であれば許さぬぞ。 あの小者め、いや、頼まれものなのかもしれぬが、二度とこちらへは顔を出せぬようにしてくれるわ… )


茶器を握り締める。


まあ実態としては後腐れのないよう、ギルドール自身で上手く処しているようである。ゆえにこのわたしが偉そうにしゃしゃり出る幕なぞ、ありはせぬのだが。




しばらくしてから彼は、手紙を机の上に投げ遣り、


「気になるなら、読んでも構わないよ」

「別に」

わたしは一気に茶を飲み干して、ふっと息を吐いた。器の底に残った花びらを指で取り出して舐める。



「そう? つまらないな」

長い銀髪を掻き上げて頬杖を付いた。


口ではつまらぬなどと申す割には、ギルドールは実に楽しげな眼差しをわたしに向け、ニヤリと唇を引いていた。





「畏れ多くも上級王陛下がね、当家へお渡りになるんだとさ。しかもお一人で、今日から明日までね。ご丁寧にほら、ご所望のものを書き出して、楽しい午後のお茶の席を用意しろとさ。箇条書きの中にはケレブリンボールも含まれている」


「ほう、上級王陛下が。それはそれは」




ひとしきり笑いあって、数瞬の間。





「大変だ!色々用意せねばならん! ああもう面倒臭い! 今日の事を今日話す奴があるか。無視しろ、無視だ!」


「面倒だがねえ、そうすれば今日という日を私達が想像する以上に面倒臭くしてしまうと思うよ、あの子…エレイニオン様の場合は特にね。 悪いけど工房に使いを出すための使いを頼まれてくれない? 船着場に行けば、誰かしらいるはずだから」

「あー…  ではわたしが参ろう!直接。 どの道、工房へは用があるゆえな。ついでに食器も色々借りて参ろうぞ。何が要るかは知らぬが!」

「待って。私も行こう。君一人じゃ心配だから」

朝から賑やかに家を駆け回る我らであった。





上級王陛下とは、もちろんエレイニオンのことである。

奴も以前は気軽に顔を出していたが、この頃は忙しく、思い通りに動けぬらしい。


その彼が単身、ここへ遊びに参るという知らせが、彼自身の手にて記されていたのだから、まったく…朝から驚かされることよ。








     *



エレイニオンの即位から、一年の時が過ぎていた。


あたたかな初夏の、正午よりは少し早い、朝。





バラール島は、ケレブリンボールの住居兼、鍛治場…通称して「工房」に我らの姿はあった。





「ようこそおいでくださいました。我らが殿と、ケレブリンボール殿がお待ちでございます」



艶光りする鉄製の扉が開くと、奥から従者の身なりをしたノルドールが現れた。
鍛冶場には似つかわしくない、小奇麗なエルフである。

まあもっとも、目鼻立ちは至って標準だ。

ケレブリンボールを見ていればわかるように、鍛冶場にも美しい男は案外と多いゆえ、これは身体が灰で汚れておらぬという意味での綺麗さである。



その者はわたしとギルドールの二人を、慇懃に、屋敷の奥へと導く。



玄関広間はとても広く、壁際には家主の作と思われる見事な彫刻、陶器、調度品などが整然と立ち並んでいる。

それらは窓より零れ落ちる午前の光を受け、きらきらと、明るく輝いていた。






これを見たギルドールは雉のように丸く吊り上った目を更に丸くして、



( どうなっているんだ )


わたしの肘をつつく。






…彼が驚くのも無理はない。


ケレブリンボールの家といえば、かつては資材に埋もれ、まともに出入り出来る状態などではなかったのだから。


その玄関が今日は綺麗に掃き清められた状態で開放されていて、誘導のエルフまでもが現れたのだ。



( わたしは知っているが、知らぬ )



彼の質問には応えず、他に気を取られているふりを続けたまま、わたしは歩いていた。




まあ、訳は後に話すとして。我らを出迎えたエルフだ。

彼は大きな扉を選び取ると、我らを中へ通し、背を向け、何やら作業を始めた。
壁際の椅子に腰掛けてその様子を見守っていると、彼はわたしの視線に気づき、静かに振り返る。

彼の向かい先には、寄木造りの化粧板を張った小さな机があり、軽い菓子と水が用意されていた。


彼はふっと微笑みかけると、

「ここでお待ちを。エガルモス様に取り次いで参ります」

更に続く扉の奥へと消えていった。


「ここはどうやら、広間の控え室であるようだね」

「そうであろうな」

硝子の中の水で遊びながら、わたしは上を見上げ、適当な声で頷いた。

であろう、と申したのは、散らかしていた頃のこの部屋しか知らぬゆえ。


天井に彫り物の施された黒い梁にどこか見覚えがあったし、ギルドールに言われてはじめて、おそらくそうであろうと気づいたのであって、正直、自信はない。







「お待たせいたしました。どうぞ…」

扉が開き、我らはさらに奥へと通された。

部屋の中央を見ると、まず目を引くのは植木鉢や磁器の瓶に挿した花の群れである。

壁には漆喰画があり、柱には植物の形をした金の燭台が作り付けられていた。

その向こうには白の薄絹に様々な色の房や宝石を垂らした衝立があり、さらにその奥には重厚な造りの椅子や机が整然と並んでいる。


これらが陽に透けて、葉と布越しにぼんやりと儚げな様子で浮かび上がっていたのだった。



幕の内側には二人のエルフの姿があった。

ひとりは凛とした美貌の、長い黒髪を持つ背の高い男で、我らが友、ケレブリンボールである。

もうひとりは女性と見紛う容姿の持ち主で、髪は胡桃色、巻き毛の男で、花の民エガルモスである。


彼らは既に立って我らを待ち構えており、歓迎の仕草を見せる。


それら一連の動きが、彼らの肌から発せられる淡い光によって布に透けて見え、美しい彼らの影を浮かび上がらせていた。

その光景は、幼少の頃、ドリアスに移り住んだノルドール達による、森の広場での遊びの席に似ていると感じた。

父は宴のたびに家具を丸ごと、わざわざ外に運び出すという大仰さを嫌い、そうした宴の主宰の多くがガラドリエルであったがゆえに、王の宴にも気軽に応じる我らをもってしても少々、敷居の高い場所であった。一方で、美しいものは美しいものとしていたわたしは、憧憬の眼差しにてこれを見つめていたものだった。


それに似た趣向の席へ案内されるのかと思うと…父には申し訳ないが、胸が高鳴らずにはいられない。



念を押しておくが、ここはケレブリンボールの家である。

つい数ヶ月前までは、ガラクタ部屋であったのだ、ここは。



「…よくぞ参られた」


珍しくも正絹の上着を羽織ったケレブリンボールが手短に挨拶を述べる。

顔の端で我らの着席を見届けると、馬のように長い足を窮屈そうに折って、座り直す。



エガルモスは中へ給仕のエルフを招き入れ、改めてもてなしの菓子を勧めてくれるのだった。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「・・・これがあの、金銀宝石の散らかり放題で、時に殺風景だった客間と同じ空間であるとは驚きだ。 どういう風の吹き回しでこういうことになったのかな?ケレブリンボール。説明したまえ」


椅子に腰を下ろすや、ギルドールはさっそく、工房の主をからかいにかかる。



「…落ち着かん」


長い手足を窮屈そうに割り開いて座し、両膝の合間でそわそわと指を組んでいたケレブリンボールは、袖から覗く爪先を揉む。これほど美しい霞のごとき布の中に居ながら、眉根には深いしわが寄せられていた。



ケレブリンボールの工房。

エレイニオンにより与えられた彼のこの生活空間は、ここ数ヶ月で驚くべき変貌を遂げている。

これまでのこちらはと申せば…まあいい。これまでくどくどしく述べた通りの様子であったのが、今やその時代の面影は無い。


(金銀宝石か。あれはひどかったな)


音の聞こえはよいが、実際は原石の、灰色のつぶてに近い状態のものが多かった。

ミスリルや色鮮やかな宝石、硝子、銅などは彼のお気に入りゆえ厳重に保管されていたものの、それ以外の宝石、鉱物…例えば瑪瑙や琥珀、貝殻、錫などは剥き出しのまま棚の箱に放り込まれており、置く場所がなくなれば床に流れ落ち、鉄くずと混ざり合っているのを何度か見かけたことがある。

棚は棚で、工具入れやら道具箱やらの蓋をひっくり返した急ごしらえの受け皿には、床に転がしてあるものよりはいくぶんましな「いずれ使えるであろう原石」を拾い集めたのがあった。


壁は壁で、絵図であろうと依頼の覚え書きであろうと、紙切れであれば分別なしに鋲止めで張り出されていたはずだ。

窓は窓で、資材と工具と文房具を入れた大きな棚…箪笥の使い古したやつに塞がれて今まではとても暗く、ここはさながら穴蔵だった。そう、蔵の中であったのである。

これまでよくもまあ、必要な鉱物を取り出せることが出来ていたものだと思う。


ケレブリンボールに言わせれば、これらは全て、彼なりの法則に従って物が置かれているのであって、分からぬのは我らの私物ではないからであるという。みだりに立ち入られ、片付けられる方がかえって迷惑であるのだそうだ。

彼が左様申すゆえ、頼みのエレイニオンどころか出入りの職人達でさえ、この空間に関しては誰も何も口出ししてはおらず、おそらくは多くの者がこの居間を物置と見間違え、彼の不調法に呆れ返りつ、爪先立ちをしつ、制作を依頼しに参ったに相違ない。

ちなみに彼の仕事が軌道に乗りかけた頃に参ったゆえ、わたしは殺風景であった頃を知らぬ。と申しても、それは彼がクルフィンの子であると知れたばかりの日から彼個人が受け入れられるまでの、短い時間に限られてはいるそうだが。







ケレブリンボールか。


彼は確かに見目麗しく、腕の確かな男ではある。

仕事を離れている時の彼は几帳面そのものである。


物のささやかな歪みにも逐一気づき、直す奴だ。


ところがだ。

ひとたび制作に埋没すればもはや、ただの気ままな一人暮らしの鍛冶場の好事家と化すのだ、この男は。

まことに残念ながら、奴の時間の多くはその手作業に費やされている。

昔はいたらしいが、今は小間使いなどという気の利いた者めらはおらぬ。

工房で働く者らも先述の通りだ。


彼のこうした極端な暮らしが、長らく工房の館を支配していたのだった。





くどいようだがご覧の通りのこの綺麗な家が、幾度か語って参ったケレブリンボールの困った鍛治屋敷の、今の姿なのである。



[●訂正●] [●追伸●]

[501] 追憶
【バラールの憩い】 2011/2/28 (Mon.)
※大きな絵(http://twitpic.com/44wen9






「ねえスランドゥイル、ここから先はどうすればいいの」

「遊んでスランドゥイル! 肩車して!」

「スランドゥイル様! どうしても解けないとこがあるの」

「スランドゥイル様ぁ! ノルドのこの子がテレリのあの子を叩いたんです!」

「違うんですスランドゥイル様!偶然手が当たっただけなのですよ!」

「どちらにしても謝りなよ!」

「そうだそうだ!」

「お、おい! スランドゥイル様の前だからって優等生顔するな!さてはナルゴスロンドのエルフを親に持つ子だな?お前」

「出身なんて関係ない。さて、あいつが痛い思いをしてる間中、お前達は何をしていた?」

「腹を抱えて笑い転げていたけれど?」

「だってあの子! 御前試合で常連だったとかいうファラスリムの水兵さんと手合わせをしてて一度も負けたことがないなんて言うのだよ?」


「その矢先にだ、たまたま近くで格闘ごっこをしていた君の鉄拳をね、あの子が見事食らったんだもの! 僕らは仰天だ!」

「うんうん。君も見てたでしょう? それまでの僕らときたら、あの子の話を疑いもせず、しきりに感心していたんだ。なんとまあ、滑稽な光景じゃないか。それを笑ったのさ」


「そうそう。だから決して、ノルドの拳を避け切れなかったテレリの身のこなしを笑ったわけではないんだよ。ねえ?みんな」

「本当だって!うそじゃないよ、本当に負けたこと無いんだもの。ねえ?スランドゥイル様」


 「スランドゥイル、薔薇は赤いのと白いのと、どちらがいいかしら?」

「ねええー!スランドゥイルゥ、肩車あああ」





「ええい、うるさい! 一時に話しかけるでない!!一人ずつ参れ!」




たまりかねたわたしが声を荒げると、青少年らは 「きゃあ」 と叫び、エルウィング姫以外の者らは蜘蛛の子を散らすが如く、室内のそれぞれの遊び場へと戻ってゆく。


とはいえ「青少年ら」が静かにしているのはほんの数瞬にすぎぬ。

暫くするときゃつらは、そわそわ、うずうずとこちら側へにじり寄り、再び、斯様な大騒ぎを目前にて展開いたすのだ。

朝からずっと、これの繰り返しだ。




「これじゃあ、ただの子守と変わらないな。ねえ?頭領殿」

いつの間にやら背後を陣取っていたガルドールは鈴を転がすような声で笑い、わたしの髪で遊び始めた。









エレイニオンが皆の「若様」であった頃の仕事をこの身に引き継いで、3日目。


彼が交流の場に使っていた、海にせり出したキアダンの館の一郭に、我らは居た。
例の、ケレブリンボールと姫が初対面し、互いを驚かせた場所である。


(さても、困った事態だな)


長椅子に腰を掛け直し、胡坐を掻いた。













初日。



(堅苦しいことは申さぬ。好きに過ごすが良い)


挨拶の場にて、確かにわたしは申した。


が。


いざ蓋を開けてみれば、ご覧の通りである。

エレイニオンの統制力を改めて思い知らされているところである。




この場に現在居るのは、以下である。

エレイニオン関係のノルドの従者の子弟を含む、ファラスリムの女子供。

我らドリアスの王侯貴族他国人。働くことに興味が無い者もふらりと立ち寄る。

花の民のわずかに残された女子供。次に生きる道を見出せないでいる者ら。



この、花の民が思いのほか多いのだ。


これで花の民は若者を多く亡くしたと嘆いているが、冗談ではない。

エレイニオン、ギルドール、ケレブリンボールらとその取り巻き連中がごっそり抜け出て尚、それを上回る頭数がここに預けられており、シリオンにはまだまだ、島に通う気力と体力の足りぬ女子供がイドリルの許にて引き篭もっていると聞く。
皆いずれは出て来ようが、これ以上増えるのかと思うと、正直、ぞっとする。


いや、おそろしくとも引き受けるつもりではいるぞ。
確かにシリオンは美しい港町だが、防備は万全ではない。有事を思えばやはり、女子供はこちらに居た方が安全なのだから。




(とはいえ、これでは蜂の巣の中だな。騒がしいにも程があろう)



とりあえず、エルウィング姫を如何いたそうか。


大人しい性格ゆえか、ドリアスに入りし頃より、彼女はごく親しい者としか話さぬところがある。

エレイニオンとは初日で打ち解けたのが不思議なくらいで、普段はこうして、わたしの顔を見れば、側を離れぬ。兄代わりとしてはとても嬉しいが、やがては我らが一党の表に立とうという娘がいつまでもそうしているわけにはいかぬであろう。


他に手ごろな話し相手はおらぬものか。室内を見渡す。


先程からうっすらと気にはなっていたのだが、南向きの窓の辺りに何やら、華やいでいる空間が在った。


そこではテレリの乙女らが糸遊びに勤しみつつ、花の民の少女らを取り囲んでいて、どうでもよい言葉遊びに花を咲かせているではないか。

「そこな者。来い」

乙女らの中でとりあえず目立つ奴を一人呼び寄せ、試しに姫の花冠作りの手伝いを命じてみる。

彼女らは突然の召し出しに驚いていたが、やがて笑顔で刺繍針を置くと、姫の手を引いて女の輪へと招き入れ、花かごを手にした。わたしは暫くの間、遠目にその様子を伺っていたが、どうやら大丈夫そうだ。


とりあえず今日の姫は彼女らに任せることにした。


次いで、エアレンディルだが、こちらも問題ない。

格闘ごっことやらに興じていた例の少年が、騒がせた詫びとして彼を散歩に連れ出したいと申し出たのだ。
同郷で共に落ち延びた仲ゆえかエアレンディルも少しは顔を見覚えているようで、「肩車は要らぬ」と申し、彼を引き連れるようにして露台へ出、白い手すりへと身を躍らせていた。

何かと忙しい母と離れ、少々甘えん坊になってきているのを案じていたわたしは、これを好ましく見送ることにした。

学問を見てくれと申していた者はわたしが回答へのきっかけを与えると、鱗の剥がれ落ちるが如き目をして机上へと戻って行った。



(ようやく、静かになったな)




この三日間でとりあえずわかったことは、
ノルドにしろテレリにしろ、いずれの女子供らも、根は悪くないということだ。

これが、せめてもの救いである。

ふっと気が緩んだ瞬間、

後ろに最も厄介な奴がいることを思い出して、わたしは溜息をついて見せた。








「ところで」


背後を睨みつける。


「樹家の宗主たる貴様が何故、ここにいるのだ」


「何故って、」


ガルドールは翡翠色の大きな瞳に困った表情を浮かべて笑う。




「ボクも ‘若いエルフ’ だからだよ。ねえ? レゴラス」



「 ……頭領殿よりは少々、我が主は年上ではあらせられるが、問題あるまい」

レゴラスと呼ばれた背の高い従者は鋭い一重瞼に笑みひとつ浮かべず、主人の頭を、くしゃくしゃ、と、無遠慮に撫でた。



「ガルドール、そなた年上であるならば、大人であろう?勤めには出ぬのか」

どう見ても大人とは思えぬ男の美少年ぶりに、改めてわたしは目を見張る。




「一言多いよ、レゴラス! それは言わない約束だろ?」


「さあ、した覚えはないぜ」

「今朝言った!こら、撫でるな、髪が崩れる!やめろって!あはは」


緑の葉を模した外套を着た二人は先程からこうして、わたしの質問を無視し、勝手にじゃれあっている始末だ。


樹家だからというわけではないが、かくも会話に置き去りにされる状況が続くとな、まるで丸太に向かって話しかけているかの如き、むなしい気分に陥るのだ。女子供と話している時の方がまだ、ましだ。




「そーんな目で見ないでくれって!ちゃんと聞いてるからな」 

ガルドールはようやくこちらを見て、

「話は戻るけどさ、年上なのは本当だ。だがボクだって一応、この陽光差す大陸に生まれた世代のエルフなんだし、ここに居る資格は、充分にあるさ」

流暢なテレリの言葉で笑った。




この者ら、未だドリアスの王族の古き言葉の抜けきらぬわたしなどよりも、ファラスリムの発音の習得が早い。


もっとも、彼らは戴冠式の準備の間中は進んで動き、島民と言葉を交わしており、為に彼ら主従は花の民でも特に、水夫らに可愛がられて暮らしているからだった。





(今更ながら、頭の下がる思いだ)




それだけ彼は、今の暮らしに早く馴染もうとしてくれているのだ。






ゆえに、「何故、貴様が」と毒づいてみせた件は勿論、「冗談」である。 


彼がこちらへ参ることが決まったのはつい昨日のことだ。


レゴラスが不意に現れて、

(明日お連れいたすが、よろしいか)

と問うて参ったのだ。


彼はガルドールが涙尽きさざる合戦にて初陣を果たせし事、最年少ながら宗主の一人として年上に囲まれて育ち、同年代と遊ぶ機会に恵まれていなかった事を手短に説明した後、

( 要は、彼をご友人の一人に加えて頂きたいのです。ただし私も側近くに控えていとうございます。何卒、ご了承をお願い申し上げる )


床に伏さんばかりの勢いで頭を下げてきたのだ。




(お、面を上げよ。こちらは一向に構わぬ)

慌ててそれを押し留め、手近にあった菓子を与えて帰した次第だ。




(それにしても…涙尽きさざる合戦、か。凄いな)


斯様な戦が行われた頃、わたしは何をしていたかというと、ドリアスの森に戯れて暮らしていて、ほんの子供であった。

そう、先日まさに父が笑い話にしようとした、吟遊詩人遊びにのめりこんでいた時期に前後して大戦は勃発しているのだ。


見目からして―…この身より少し上であるといっても、おそらくその差は知れていよう。

つまりはいたいけな少年の身で、彼はかの大戦に臨んでいるのだ。


樹家のガルドール。

遊びたい盛りにかく称されるは、如何な心地なのであろう?



宗主などと申す高官の座にありながら最年少であったのであれば、国ではさぞ背伸びをして生きて参ったことであろう。


それが斯様な場へ足を踏み入れてみようかという気になったのはきっと、キアダンの輩の活気、そして同じ大陸に生まれた者同士である我らの他愛ない遊びにこそ、‘若い’彼は魅力を感じてくれたからなのかもしれぬ。



いや、どちらかと申せば、魅力を感じているのは連れて参ったレゴラスの方だ。



愛想は無いが、主人を第一に考えて動いている。


これまでのガルドールの育ちを思えば、
この主人に対する篤い想いはまこといじらしく、わたしでなくとも、これを汲み取ってやりたくなるではないか。


それでもまさか、あの時の美しい使者殿がこれほど軽々なエルフであろうとは、思いもよらぬことではあった。いや、わたしを女に見間違えた時点で気づくべき事ではあったのだが。


かくして、一応、わたしは彼らを認めてはいるのだ、一応はな。


…認めつつも、彼らのこの、エレイニオンをも凌ぐ軽い乗りに未だついてゆけぬのが、今のわたしの正直なところである。




(  ま、花の民の遺児らがバラールの暮らしに馴染んでもらう為にも、「宗主さま」をそばに置くは何よりの手本となろう。従者のレゴラスとやらもな )




実際わたしも、周りに助けられて、今日にあるのだから。


「…案ずるな、齢は問わぬ。代わりに、もはやわたしはそなたを貴人扱いはいたさぬぞ」

わたしは椅子に背を預け、笑ってみせた。



「我が主が、世話になりまする」

レゴラスは改めてわたしに頭を下げた。

「お前も一緒に通うのだろう?遠足とか合唱祭とか、ちゃんと参加するんだぞ」

ガルドールはレゴラスの額を軽く小突くと、「こいつもよろしく」と笑顔を添えた。


「安心せよ。左様に肩肘の張った催し物は特に無い。誰とはなしに集まり、結果的にはそれらしいことになっている時は間々あったがな」

「じゃあ作ろう行事。きっと楽しいよ」

「……手伝うのであろうな」


「もちろんさ。今のご時勢、ボクらもいずれは働くつもりではいる。が、とうぶんはエアレンディル様の守り役の態で、みんなと一緒に若さを謳歌するつもり。そんなわけでよろしくね、頭領殿。 ほら、ボクみたいな可愛らしいお兄様がふわっと出入りしていれば、飴と鞭の使い分けが利くでしょう?」


「私はそのガルドール様の守り役にて。出来る限り、貴殿に協力致す所存」

「挨拶が堅いなあ、レゴラス。まだ緊張してるのか? 残念ながらこの頭領殿はな、ナルゴスロンドから来たとか言う、あのきらきらひらひらした美青年のものだからな。体力馬鹿のお前に勝ち目はないぞ」

「……。」


レゴラスは口をつぐんでいたが、鋭い一重瞼の視線の先は常に、主人であるガルドールの銀髪の下がり端に定められてあるのはわたしも気づいている。





主人は社交家だが世間知らずで、従者は気の利く不器用者、か。

まるでどこかで見たことのある光景だね。


ここにエレイニオンが居ればそう面白がって、わたしに耳打ちするところであろう。心の中で想像して、ふっと笑う。




ただ、血のつながりを持ちながら、主従という形で結びつくことに価値を見出している彼らと違う点は、


「勝手にほざいていろ、馬鹿が」



と、こういう時のレゴラスはやや早口で、主人を相手にしているとは到底思えぬ口を利く。

他者に対して主人を語る時のみ、彼は体裁を取り繕うのだ。

どちらかと申せば、主従というよりは友人…いや、兄弟の無遠慮な関わり合いに近い。


姫を妹扱いしているわたしの言えた義理ではないが、従者の方が兄貴然と構え、主人を弟扱いしているのだ。


国が倒れたからどうこうというわけではなく、彼らの場合は、昔からこのようであるのだそうだ。



これはわたしの目には驚くべき間柄であった。







まあ、言うなればバラールにとって「面白いエルフがまた増えた」のである。






(ところで先程はうっかり突っ込み損ねたが、飴と鞭の、鞭はわたしが担当なのか?)

冗談ではない。


出来れば声を荒げるでなく、常に心穏やかな立場で居たいのだが。








「銀色のお魚さんや白い鳥さんが、いっぱいいたあ!!」


もう一人面白い奴―…半エルフのエアレンディルが、頬を高潮させて戻ってきた。



格闘遊びに戻ろうとする少年を解放したエアレンディルはレゴラスの広い胸に飛び移り、驚くほど大きな青い瞳でわたしに笑いかける。彼の眼差しは、彼らの国民の間では「マンウェの衣よりも青い」と評されているという、誰が見ても美しいと感じるであろう明るい輝きである。



「それは良かったな」

「うん。スランドゥイルもいっしょに見よう!」


「では」

レゴラスはエアレンディルをわたしの膝に置こうとする。



「待て。貴様が抱いたままでいろ」


「ごめん、頭領殿」

ガルドールが申し訳ないという仕草をする。

「名残惜しいけどボクら、これからキアダンに会うんだ。 さて、エアレンディル様」


ガルドールは外套をさばいてその場に膝を折り、金髪の半エルフの手を取った。

「なあに」


「また、お迎えに参上いたします。それまでどうぞ、良い子でお過ごしあれ」


「うん。いってらっしゃい」

間近に迫り来るレゴラスの長い手指に思わずどきりとしたのも束の間、エアレンディルの柔らかな黄色の髪がふわふわと咽喉元にまとわりついていた。
エアレンディルは何故か我が髪がお気に入りらしく、全力で髪の束に顔を擦り付けてくる。薔薇色の頬は子供特有の熱を放ち、傍に寄るだけで暑苦しい。




「き、貴様らが守り役なのであろう? 我が友となりたいのであれば勝手に押し付けるでないわ!! まさかとは思うが、これよりは斯様な流れにて、自由勝手に、我が許を行きて帰るつもりか、貴様ら!!?  」


これに対する反応はといえば、

二人は半目で振り返り、「何か問題でも?」という顔を見せただけ、である。



ノ、ノルドール、怖いな。



気のいい輩でさえ、これだ。


困窮に際すれば誇りも何もかも捨ててひれ伏すことが出来るくせに、


こちら側が受け入れた途端の、


彼らのこの押しの強さは何なのであろう…





溜息。






「出来たわ」



乙女らの群れからエルウィングが抜け出して、花冠をわたしの頭に置いた。



「上手に作れていますね、姫君」

ガルドールは外套を肩に掛け直しながら、その出来栄えを褒める。

まぶたを寄せて額の上を見上げるに、薄紅色の薔薇と、白い浜辺に咲く草花の薄衣の花弁の重なりの端が前髪の上に華やかに連なっていた。

うっかり頭を動かしてしまった拍子に芳しい薫りが顔周りに零れ落ちる。薔薇の香りは、わたしの好きなもののひとつだ。

鏡が見当たらぬが、如何な出来であれ、姫の作った花冠が頭上に在るのは、とても嬉しい。


これを共に見上げていたわたしの顎の下で、エアレンディルは何故だか突然、傷ついたような顔をした。


「な、泣くのか?どうしたのだ、お前。ガ、ガルドール、レゴラス! これはどうすればいいのだ。意味がわからぬ。返す!!」
 
慌ててエアレンディルを突き返そうとしたが、受け取り手はない。

レゴラスは靴紐を結びなおす事に、ガルドールはおのれの鼻にかかる前髪を触る事に専念していて、既にこちらへの関心を完全に失っているではないか。



( 何なのだ、こやつらのこの、自由度の高さは! )



しばらくしてようやく、ガルドールはこちらの視線に気づき、


「ああ、エアレンディル様はね、ご自分に作ってくださっているのだとばかり思っていたのですよ」

「花冠をか?」

「ええ」


ガルドールはわたしの肩に手を沿え、小声で愉快そうに囁いた。

意味がわからず、目を点にするばかりであるわたしを置いて彼は、鼻歌交じりで出入り口へ向かう。


行く手には、ファラスリムに馴染むどころか、突然同じ目線に降りてきた宗主にさえも畏れを見せ、身内で固まっていた花の民がいた。

彼は彼らに何やら話しかけ、ようやく笑顔を引き出してから、彼らに見送られる中を颯爽と、渡り廊下へ歩み出たのだった。

その後ろを緑葉のレゴラスが、我らへの一礼の後に、大股歩きで追いかけてゆく。


海にせり出た白い渡り廊下を青葉色の衣がひらひらと舞い、彼らはやがて、港へと続く、海岸沿いの街道へと消えていったのである。






「要るか?これ」

「……」

花冠を外そうとしたが、すっかりぐずついてしまった青い瞳の上を覆う黄味の強い金の睫毛は、ふるふると横に揺れるばかりだ。



「姫。要るのに、要らぬという。一応、与えてみても良いか?花冠。 泣きやむかもしれぬし」

ガルドールが参るゆえ、今日はヘンドールが控えてはおらぬ。突然膝の上に預けられた子供をもてあまし、エルウィングに助けを求める。



「そういう問題じゃなくてよ、スランドゥイル」

エルウィングは呆れ顔で我が顔を覗き込み、花冠を丁寧に被き直す。


何故、わたしが叱られているのだ。


「ごめんなさい、エアレンディルさん。私がもう少し早く気づいていればよかったわ。そうね…ご一緒に作りましょうよ、あなたの花冠。スランドゥイルも来て。皆が喜ぶわ」


姫はエアレンディルで両手の塞がったわたしの袖を引いて、乙女の群れへと導き、座らせた。


そこは海のよく見える手すり無き広い窓辺で、そよ風が肌に心地好い。


先程からわたしの仕草の逐一に黄色い声を押し殺し損ねていた女共も、風の吹く方へ顔を向けているうちに、次第に大人しくなる。

大理石の床には乙女らが輪になって座れるほどの可愛らしい絨毯が敷かれており、絵付けの施された美しい木箱や籐の籠に盛られた花束や布の海、綺麗な色合いの裁縫道具の山であふれかえっていた。それらを絵筆を執るようにして使いこなす乙女らを前に、いつの間にやらエアレンディルの機嫌も直っていたようで、今やわたしの膝の上に大人しく抱かれており、姫らが手際良く花の茎を絡めてゆく様子に興味津々の眼差しである。



(子供とは泣いたり笑ったり、本来は忙しい生き物なのだな)



ドリアスに来たばかりの姫らも、シンゴル様の飼っていたトゥーリンとか申す人間の子もこれほど自由気ままではなかったゆえ、今は戸惑っているが、ガルドールらが戻る頃には、すっかりこの生態に慣らされてしまう自分がここに居るような気がする。



ふと大気の揺らめきを感じ、その源を探す。



天井へと、視線は辿り着いた。


そよ風に乗って窓辺から差し込んだ青い陽光が、光源であったようである。


白い建物の柱を光は透き通り、窓の桟や天井の梁に波紋を描いていた。光の環がいくつもいくつも、楽しげな顔をして揺らめいている。


床下からは浜や家の一階の桟橋を撫でる波の衣擦れが断続的に聞こえている。

時折、魚の跳ねる音が小気味よく響く。


その上には、海鳥の舞う羽音。


それらを包むのは、春の午後の、穏やかな気候。


子供らも海鳥を珍しがって露台に集まり、何やら楽しげにはしゃいでいる。
地元の子らやドリアスの貴族が音頭を取り、海鳥の出てくる歌を何曲か唄い始めるつもりでいるらしい。




とても戦時下にあるとは思えぬ穏やかなひとときを、新たな地に生きる若きエルフらが享受し、傷心を癒している。かつては癒されていた側が、癒す側に回っている。


この光景を見守るうちに、不思議とこのわたし自身が癒され、励まされているのを感じていた。





そうか。




だからエレイニオンは、この席をわたしに与えたのか。





ファラスの焼討ちを経験したエレイニオンを癒し、力づけて参ったのは何もキアダンらばかりではなく、我らの存在も確かに在ったことを、わたしに伝える為に。



これは一方的な解釈かもしれぬが、エレイニオンの一見自由奔放に見えて最終的には周囲を和ませる力の源は、きっと、ここにあるのだろうと思う。

彼自身、ここで傷心を癒せたからこそ、あらゆる者らと出会い、縁を結べたからこそ、ここからケレブリンボールと巣立つことが出来、キアダンと政に諮るに足る貫禄を備えて戴冠式に臨むことが出来たのであろうから。



そして、時折は勘の鋭いところを見せるエレイニオンのことゆえ、あるいは予見し得る者がわたしの事で何やら未来を視たのではないだろうか。


この経験はいずれ必ずやスランドゥイルの糧となろう、と思わせる何かを。







だとすれば―…それが何であるのかはさすがに今はわからぬが…この力、大切に学び、使わねばなるまい。

  


( これは是非、我が力の源としてゆこうぞ )



エアレンディルを抱く腕に、力を込めた。
[●訂正●] [●追伸●]


[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [次の5件]

モード: 上書き用パスワード: ウィンドウ:

サイズ: x (50 x 50) - (1000 x 1000)

パスワード


[TWITTER] [探 索] [狩猟場] [魔法帯]

[ ]



OekakiBBS ver.2.83 (C)OekakiBBS.com, All rights reserved.